不肯去観音院

時間: 2020-10-28 作者: 普陀山佛教 ソース: 普陀山佛教网

潮音洞の側に位置しています。唐の咸通4年(西暦863年、以下同じ)、日僧慧鍔が第三回で入唐求法を行い、五台山の中台精舎に至り、ある観音像の荘厳妙相を見て、本国に迎えたいと懇請しました。蓮華洋を渡り、風と波に遭い、観音様は東へ行こうとせず、潮音洞の側に聖像を残し、山民の張氏が住んでいた双峰山(今の普済寺の裏山の麓)の屋敷に安置され、俗に「不肯去観音」と呼ばれました。後梁の貞明2年(916年)、張氏宅の旧跡に「不肯去観音院」が建立されました。清の時代の名士裘璉が「仏指名山」と命名しました。

当時の日僧慧鍔の事跡を記念するため、1980年、潮音洞に「不肯去観音院」を建立しました。1987年、中国仏教協会会長趙朴初は此処で『謁金門』という詩を作りました。2002年には殿宇を唐式に改築し、本堂が3軒あり、唐式の「不肯去観音」坐像を安置されました。本堂の西側には「日中友好三十三観音歩廊」が建てられ、日本の33の観音様の本尊が安置されています。東に潮音古洞があり、大士霊現の処と伝えられています。洞の足は海に延し、両壁の高さは約10メートル、奥行きは約30メートル、潮騒は昼夜を分かたず、洞壁は「潮音洞」という三字があり、清の康熙38年の聖上親書といいます。