普済禅寺

時間: 2020-10-28 作者: 普陀山佛教 ソース: 普陀山佛教网

梅岑山東麓の霊鷲峰の下にあり、前寺とも呼ばれています。 

唐の咸通4年(西暦863年、以下同じ)、日僧慧鍔が五台山から観音聖像を迎え入れ舟に乗って本国に帰させるとき、潮音洞付近で風と波に遭い、洞窟の近くに聖像を残した、観音様は行こうとしません。山民の張氏は聖像を屋敷に迎え、供養しました。後梁の貞明2年(916年)、張宅の旧跡に「不肯去観音院」を建立し、宋の元豊3年(1080年)に宝陀観音寺の横額を賜りました。明の洪武20年(1387年)、観音聖像を明州(寧波)の栖心寺に移し、本堂を再建し、補陀寺(今の七塔寺)と改名し、明の隆慶6年(1572年)、観音が遷座し、宝陀寺は太子塔西山窩内に再興しました。明の万暦2年(1574年)、蔵経殿を建立しました。

 清の康熙年間に7回の拡張工事が行われ、康熙38年、康煕帝は再度南巡し「普済群霊」の横額を賜り、「普済禅寺」と改名しました。清の雍正9年(1731年)に大規模な修造が行われ、現在に至っています。清の嘉慶5年(1800年)、光緒7年(1881年)、民国元年(1912年)、民国4年(1915年)、さらに4回の拡大工事が行われたが、1979年、寺院は全面的に修復され、各殿の仏像を再建し、今の普済禅寺は新しくて絢爛たる姿を見せています。 

普済禅寺の中心軸線に、第一重は万寿亭、正山門とも呼ばれる、清の康熙43年(1704年)に建立され、真中に康熙帝の「御制補陀羅迦山普済禅寺碑」、東側に明の万暦27年の「再賜蔵経碑」、西側に清の雍正9年の「特旨修建南海普陀山普済法雨二寺碑」が立っています。第二重は天王殿、清の康熙30年に建設されたが、1984年に殿内の四天王像を再建しました。第三重は大圓通殿、清の康熙32年に建てられ、「活大殿」と称されています。殿中に高さ8.8メートルの「毘盧観音坐像」、両側に「観音三十二応身像」を安置し、中頂に清の康熙38年に賜った「普済群霊」の横額が懸かっています。門内の西側に「関帝立像」、東側に「韋陀菩薩立像」が立っています。第四重は蔵経楼で、蔵経閣とも呼ばれ、清の康熙36年に建てられ、階下に法堂があり、中には「釈迦牟尼仏」、「消災延壽薬師仏」、「阿弥陀仏」という三つの坐像が安置され、「三世仏」と称されています。第五重は景命殿又を方丈殿と呼ぶ、五間九架あり、清の康熙36年に再建され、康熙帝の御書「獅子窟」の横額が懸けられています。第六重は内壇、民国4年に住職の了余が建立されました。第七重は霊鷲楼、1987年に建設されました。山門殿の前には、御碑亭と八角亭が並んでいるため、第九重、第十重となります。全ての彫壁画棟は華麗で壮大であります。 

普済禅寺は、殿宇586軒、建築面積は約23000平方メートル、敷地面積は約37000平方メートル、奥行は九重です。回廊に囲まれており、宮殿が集まっていて、中南東部の第一寺に位置してます。