息耒禅院
旧名は息耒庵、普済禅寺の西にあります。清の康熙32年(1693年)、普済禅寺の僧心明は師潮音が引退するため、建てました。康熙38年(1699年)、中丞王鸿绪、学士高士奇が寄付して万寿殿を建てました。殿堂は屋根に瑠璃瓦をかぶせ、内には御賜された「万寿龙幛」を掛かりました。康熙49年、皇太子誠親王より「衆香精舎」の題額を書かれました。康熙58年天子が「海月常輝」の題額を多賜った。1919年(民国8年)、長年にわたり廃棄してしまったため、本堂僧瑩照率いて、方丈室及び建物の増築、客寮、天王殿の改築を行い、お寺が一新されました。
新中国の成立当初、僧悟道、源恒等の5人がここに駐在していました。1998年に舟山市人民政府から許可され、普陀山仏教協会に移管されるようになりました。2013年12月、仏協は原形修復を計画しました。現在の息耒禅院は普陀山仏協の普済禅寺学戒堂となっているが、今頃修造なさっているところでございます。