錫麟堂
旧名は仁徳堂、普済禅寺の西にあります。明末の僧如宏がここに部屋を建ててすんでいました。清の康熙年間(1662年~1722年)僧広成が修整され、普済禅寺の西寮に帰属し、殿内には送子観音が安置されました。嘉慶末年、廃棄してしまいました。1824年(道光4年)、第14世孫の昌蔭が定海紳士の銭鏡の母から援助を得て殿宇を再建し、観音洞の僧山静、山覚が駐在されるようになりました。清の光緒末年(1875年~1908年)にかけて、第16世孫了余は大悲楼、祖堂、客寮、方丈室を建設して、完備になりました。1914年(民国3年)、高僧太虚はここに篭ったことがあります。
新中国の成立当初、僧光殊、又斌などが駐在していました。1998年、普陀山仏協に移管するようになりました。現在は普陀山仏教協会本部の所在地であります。